実行委員長のメッセージ

今年の雑居まつり実行委員長 本多忠雅さんが、市民運動いちの会報誌「世田谷いち」に雑居まつりメッセージを寄せました。

「世田谷いち」2024年NO.404より


第49回雑居まつり 開催します!

本多忠雅(第49回雑居祭実行委員会委員長NPO法人世田谷区聴覚障害者協会常務理事)

 「雑居まつり」とは何の集まりだろう?
 その答えを出す前に、私と手話・福祉について話してみたい。

 約50年前の私は、大学に入り、学生生活をエンジョイしていた。その時、学生仲間から「関東聴覚障害障害学生交流会(現・関東聴覚障害学生懇談会)の存在を知った。聞こえない学生の学習権の保障というテーマを知り、さらに、「差別」「福祉」などの語句や、権利意識を持つことの大切さを学んだ。
 実は、高校と大学に入る前に在籍していた「ろう学校」では、手話を使うとか学ぶとか、手話で教えることなどが禁止されていた。
ちなみに、手話講習会や手話研修で受講生に「ろう学校では手話を教えているか」と尋ねたら、ほとんどの受講生は「はい」と答える。私が教わっていないことを話すとびっくりされるほどである。私は、ろう学校中学部2年までは、手話・指文字さえ知らなかった。先生や親たちは、「手話はみっともないもの。手話を使ってはいけない」などと言った。

 手話はかつて、教育現場で禁止された歴史がある。

 日本のろう教育は明治11年、京都にろう学校が設立されたのが起源とされる。当初は手話が使われていたが、イタリア・ミラノであった世界ろう教育者会議で、口の動きを読み取る「読話」や声に出す「発語」をする「口話」のみをろう学校で使うことを勧める決議がなされた。日本でも口話教育が広がり、昭和8年には鳩山一郎文部大臣(当時)が口話で教えるよう訓示。聞こえる人と同じように育てるという教育方針で、ろう学校での手話は禁止された。
 欧米では手話を独自の言語として見直す動きもあり、最近では文科省も学校での手話の使用を一部容認、ろう学校の多くで手話が使われるようになった。2006年、国連が採択した障害者権利条約で手話が言語として定義され、国内では2011年の障害者基本法の改正で「言語(手話を含む)」と明記された。

 なぜ、手話を教えてはいけないのか、手話を覚えてはいけないのか? それよりもきこえない人は、どうやって日本語(あるいは筆記言語)を覚えるべきか? 否、なぜ、きこえない人(ろう者・ろうあ者)の存在を認めないのか? きこえない人も人間らしく生きる権利があるべきではないか?
 それには、手話を社会的に認めること=きこえない人(ろう者・ろうあ者)の社会的認知「人間らしく生きる権利」が必要となる。

 手話が社会的に認知されたのは、1970年の厚生省(当時)の手話奉仕員養成事業が開始されてからだった。さらにその後、手話が言語として認知されたのは、前述の通り2011年であった。すなわち13年前のことであるが、その際も法的には認知されていないため、世田谷区では、2023年12月7日の世田谷区議会本会議で「世田谷区手話言語条例」が採択された。2024年4月より施行されたのが記憶に新しく、世田谷区在住の聞こえない人にとっては、長年の悲願であった。

 聞こえない人の「差別・福祉」に関して、いくつかの例を挙げたい。
 1979年までは、ろう者は「準禁治産者(心神耗弱・浪費癖のため、家庭裁判所から禁治産者に準ずる旨の宣告を受けた者。法律の定める重要な財産上の行為についてのみ保佐人の同意を要した)」とみなされ、住宅ローンの利用や家業を継ぐこともできなかった。
 1970年代前までのろう者の職域はかなり限られていた。縫製、木工、印刷関係などで、健常者より安い賃金と不安定な身分だった。しかも手話への理解不足もあり、手話通訳者の同席を拒否されることなどもあった。
 1966年11月に京都で、全国ろうあ青年研究討論会(全青研)が開かれた。それまで「差別」という言葉さえ知らなかった青年たち。ろう者の給料は、聴者よりも安いのは当たり前というろう者の権利を侵している様ざまな事実、希望や要求に対する厚い壁の実態が、ろうあ者自身の切実な体験を通じて明らかにされた。これが「お願い」運動から「権利」運動への転機となった。

 とある旅行代理店で、受付カウンターで案内と業務対応を1人のスタッフが担当していた。店内はお客で混雑してきており、カウンター前には数人が案内を待って並んでいる。その列の中に聴覚に障害のある客がいて、案内の順番が来た。そのお客様はカウンターでスタッフに“聴覚障害があるため筆談でお願いします”というメモを渡した。
そのメモを見たスタッフは、案内内容を頭の中でイメージしたところ、慣れない筆談でやると通常より2倍以上時間がかかると見積もった。店内の混雑状況を考慮し、そのスタッフはお客様に「現在店内が混雑しているので、空いている時間、夕方に来てください」とメモを渡した。(以降略)
 医療機関の診察予約のため「代理電話サービス」を利用したところ、本人確認ができないことを理由に拒否され、FAXで申し込んでもよいか確認したところ、電話以外は不可と断られた。医療機関の窓口でも口頭で本人確認を求められ、時間を要した。また、診察結果の説明時にも、混雑のため筆談対応はできないと医師から断られた。
 Aさんは言葉が聞こえにくい状態です。Aさんが小さい時、話しかけられても会話が難しいことにお母さんが気づき、生まれつき言葉が聞こえにくい難聴であることがわかりました。Aさんは、音は聞こえるけれど、何を言っているか言葉の内容が聞き取れないことが多くあります。いま、Aさんは中学生になり、学校で勉強しています。Aさんは高校入試に向け、模擬試験を受けに行くことになりました。英語のテストでリスニング試験がありましたが、スピーカーから流される音声のテストで、聞き取りづらいものでした。困ってしまいましたがそのことを言い出せず、結局、全てを聞き取ることができませんでした。

 このようないろいろな問題をどのように理解し、解決すればよいでしょうか。

 設備を整備してバリアを取り除くだけでは解決しないバリアもあるんです。それは、普段私たちが何気なくおこなっている行動や発言、また誤解や偏見など、関係性が作り出す「意識上のバリア」です。無関心によってバリアを作ったり、バリアを見過ごしたりする事は、困っている人の人権を無視することにつながりかねません。無関心はやめましょう。「障害者差別解消法」など法律によって、障害のある人の人権は守られています。差別という見えないバリアは、決して作ってはいけないものです。

 声をかける、聞いてみることから、コミュニケーションが始まります。多様な人々とのつながりを広げていくためにも、コミュニケーションを積極的に行っていくことが重要です。手話ができないから諦めるとか、話さないとかは、あってはならないものです。

 なので積極的に、聞こえない人と交流してみませんか。

 そうだ、雑居まつりの趣旨。

 私たちが、日々生活している街。この街で、私たちが今日にいたるまで築き上げてきた文化は、一方では生活を豊かにしてきましたが、他方では環境汚染にみられるように、あらゆる生命をおびやかすものになってきています。また、それにつれて、私たちの心も物の豊かさに反比例するように、ほかの人々を排除したり、心を理解するゆとりが失われがちになったりしてきています。
 こうした現状をふまえて「地域の問題は、地域住民の手で」をひとつの合言葉に、さまざまな地域の問題をとりあげて活動している団体・個人の自発的参加によって、「雑居まつり」を企画しました。まつりは、そこに参加するすべての人々が楽しみを分かちあうとともに、お互いの生活や思い、そして地域社会全体にかかわる問題を語りあい、自分たちの今の生活を問いなおすきっかけにしていきたいと思います。さまざまな企画を通して、お互いの問題を理解しあえるように、私たちは、私たちなりの表現で、まつりを創りあげていきます。
 それぞれの問題を抱えた人々が、まつりを通してつながりを深くしあい、ともに生きる地域社会をめざしたいと考えております。
この輪のひろがりこそ、「雑居まつり」の最も大切にしていきたいことなのです。地域の皆さまの積極的なご協力、ご参加をお願い致します。

 そうだ、ともに生きる地域を目指すのだ。

 10月13日に羽根木公園でお会いしてみませんか。いい出会い・いい体験をされますように…。

 手話も少しでもいいから覚えるとか、聞こえない人と話してみませんか。